漂流
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半永久的に消えていくきみへ

二枚貝

秋風がわたしを横切って、ちょっとさみしい。露天風呂に浸かっている時の抗うことのできないさみしさのことを思い出す。皮膚の表面に付着した水滴の蒸発にともなって失われていくものは水分だけではなくて、わたしのこころの奥にあるなにかまだ名前のつけられていないもの。夏になるといつも、雨が降っていても関係なく傘をささずにに歩くのは、真夏の生ぬるい雨に打たれて全身が濡れているときのその感覚が、小中学生の頃の、雨の中プールをさせられていたときの感覚に似ているから。夏の雨のその、全身が生命のプールに繋がっていて世界とさえ繋がれちゃってるんだって感覚。2000年、赤い海でわたしたちは繋がれて、子宮の中を漂流していた。子宮の外では世界の終わりが囁かれていた。子宮の中には一匹の蝶がいた。そのとき、わたしはまだオスでもメスでもなく、ひとつの肉の塊だった。一匹の蝶はひらひらと子宮の中を舞ったあと、遠いところへと消えていった。そして世界は終わらずに、世界革命が起きることもなく、壺の底には僅かばかりの恋が残り、その恋もやがて金銭へと変わっていった。

 気づけば魔法使いはいなくなってしまって、来ることのなかった世界の終わりと革命について考えている人々と、神に祈る人々、家庭を持って子どもを育てる人々、そしてインターネットがあった。《ぶい・ちゅーばー》の存在論的な論証を行えば行うほどに、初音ミクの身体はバラバラになり、やがて四肢もバラバラになり、最後にはパッチワークの《初音ミク》が生まれることになった。なんて戯言、繰り返す。夏は終わって、秋になって、そういえば虫の声がする。虫の名前は分からないけれど。鈴虫みたいだけど、たぶん違う。いま聞こえている虫の鳴き声のその源にいるであろう虫のその名前すら分からないのに生きていることはとてもかなしくて、でも続いていくことがちょっといとおしくてそんな世界、でも続いていくことがこわい、とおもうわたしもまた続き、続けていて、終わらないということあるいは終わるということその螺旋そのものが引き延ばされて反復されてわたしは思考し、眠り、そして夜はまた朝になって私は私であることを忘れそしてまた思い出し、光、と闇が繰り返されてその繰り返しのその反復もまた繰り返されてひとはひとを愛してまた憎み、ひとは生まれまた消滅し、反復不可能な一度きりの愛はまた繰り返されやがて溶けあってひとは生まれその繰り返しがまた繰り返されて、わたし、という一度きりの現象はまた生まれ、消えて、またあたらしいわたし、が生まれるということが繰り返されて夜が来て眠り、はんぷく、という言葉の質感をわたしはなぞり、あなたはまた生まれ、愛され、憎まれ、わたしは愛し、嫉妬し、それはまた繰り返されて宇宙はやがて終わり、始まり、あたらしい宇宙はまた繰り返され、そこに新しいあなた、生まれ、わたしはそれをまた愛し、繰り返し、反復し、あいするだろう。


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