そっと、やわこく
赤、黒、橙。水面で揺らめく金魚たちをそっと掬うように、ポイを水面に、斜めに、差し込む。ようにケーキを切った彼女のことを思い出す。
教会に来ていた。何かを懺悔し、救済を乞うために、らしい。私にそう伝えた友人は、はるか前、主祭壇のそばで、こうべを垂れている。私は神父のひらひらした服を見て、金魚のことを思い出した。懺悔、という言葉が金魚と巧妙に纏わりついて。それらをまとめて掬うように、私は水面のようにきらめく祭壇の方を眺めていた。
小さい時、多分どこかの祭りで、私は金魚を掬った。いや、私ではないかもしれない。が、金魚が二匹、確かに私の家にいたことがあった。
彼らは何年も何年も生きて、大きくなって。窮屈になったでしょうと水槽を追い出され。ベランダの隅の発泡スチロールの箱で、また大きくなった。
苔でまみれて、箱は汚れ、水は汚れ。たまに水面に呼吸しにくる以外、確認できなくなった橙。緑に埋もれた橙。
水中に酸素が足りていなかったらしい。餌をやりにベランダに出るとよく、餌でなく酸素を求めて、水面に橙が覗いていた。気がする。
俺なら死んでしまいたい。そんな箱を飛び出して。暑い床で焼け、冷たい床で凍ってしまってでも、出ていきたい箱。の上には、残念ながら金属の網が置かれていた。
かつて。発泡スチロールではなく水槽。緑じゃなくて透明。苔、もとい水槽。そんな時、一匹が水槽から飛び出したことがあった。床で撥ねる金魚を見て、私と妹は焦る焦る。あたふたあたふた。金魚はびちびち。
その時、父は怒りながら、金魚を戻してくれたんだった。
自分たちで管理できないもんを育てるな。
ものすごい剣幕で、それはまるで金魚を握りつぶしてしまうようで、怖かった。
けれど。
父はやわこい手つきで、金魚を水に返した。金魚はぶるりと震えて、それきり元の調子で、水の中で揺らめいたんだった。苔のむすまで。
教会で、父のその、やわこい手つきだけを思い出していた。その、意表をつくようなやわこさだけが、苔の中から、そっと浮き上がって来た。金魚を掬うつもりが、もうそこには金魚はおらず、ただ懺悔とやわこそが、もやもやっと混ざって、私の手に確かなものとして、あった。
彼女のことを思い出した。赤、黒、橙。水面で揺らめく金魚たち、をそっと掬うようにポイを水面に、斜めに、差し込む。ように鍋の灰汁をとる彼女のことを。
ポイでなく、ナイフ。ポイでなく、おたま。だけど、まるでそれがポイかのように。金魚をそっと掬うように。
狙いを定め、水面にそっと、ポイを近づける。そっと。
角度を変えて、斜めにして、水にそっとつける。そっと。
上手く金魚の下に持って行き、そっと持ち上げる。そっと。
そのままポイを傾けて、金魚を桶に落とす。そっと。そっと。
笑っていた彼女が一瞬、押し黙って、顔をこわばらせて、金魚を掬う。そっと。それは意外過ぎるほどに。
救済とそっとした感じが、上から静かに沈殿してくる。降りてきたそれは、ゆらゆらと、魚が戯れ合うような調子で、私の足を刺激した。
足に触れる感触。は、神父の服だった。私の横を通って出口のほうへ向かっていく。
教会には、誰もいない。ただ私と金魚たちだけが、懺悔と救済の中で揺らめいている。光が差し込んで、境界を曖昧にする。もちろん、私と金魚の間の境界も。
金魚にとって、あのやわこさは救済で。あのそっとした感じは懺悔だった。のだろうか。
そんな訳もなく。曖昧になった中で、いつの間にか救済と懺悔は消えて、やわこさとそっとした感じ、だけが残っていた。
懺悔もせず、救済されないままの私。に金魚がまとわりついてくる。私はまた、父と彼女を思い出した。
やわこく抱かれ、そっと掬い取られる。
それが今、突然起きることだけを、見知らぬ神に願ってみたりしている私、
は金魚となって、教会から飛び出し、暑き夏の露店へと急いだ。